休日は毎食、キムチチゲ。
コンサートの前は必ず
焼肉を食べるんです。
歌手 キム・ヨンジャさん
金蓮子。韓国全羅南道光州市生まれ。1974年デビュー、81年発売の『歌の花束』は韓国史上最高の360万枚セールスを記録、現在も破られていない。88年、ソウル五輪開会式で公式歌『朝の国から』を熱唱、同曲で日本デビュー。以降、日本を拠点に活躍し、世界各国でもコンサートを重ねる。9月21日、新曲『南十字星』をリリースしたばかり。
のびやかで表情ゆたかな歌声で、演歌から世界の名曲まで、多彩に歌いあげるキム・ヨンジャさん。 韓国ナンバーワンの歌姫として、ソウルオリンピック公式歌『朝の国から』で日本デビュー。以来、日本を拠点に活躍し、世界各国から招待が絶えない「歌う親善大使」としても多忙です。初来日の思い出や、オモニゆずりのレシピを披露した料理本のこと、そして新曲への意気込みを聞きました。 もちろん「コンサートの前には必ず食べます!」という焼肉のエピソードも、たっぷりです。
15歳でデビュー、そして日本へ
――小さい頃から歌が上手で、お父様の自慢のお嬢さんだったそうですね。
ヨンジャ そうですね、子どもの時からのど自慢荒らしで(笑)、学校の音楽の時間になると同級生たちが「先生、ヨンジャに歌わせてくださーい」ってリクエストするんです。
――当時から歌手をめざしていましたか。
ヨンジャ 歌手になるとか、ならないとか、考える前に歌ってましたね。
「スチュワーデスになりたい」とか、「女性の軍人(アーミー)もかっこいいな」とか、子どもらしい夢を見たこともあるんですよ。
でも、私、韓国では15歳でデビューしましたから、将来のことを考える年になった時には、もう歌手になっていた、という感じです(笑)。でも、デビューしてすぐスターになったわけではなくて、最初は無名でした。
――初めて日本にこられたのは、その頃ですか。
ヨンジャ そうです。18歳の時、日本のレコード会社のオーディションを受けて、最初の日本デビューをしたんです。 18歳ですからね、好奇心いっぱいで「日本てどんなところかな?」という気分でやって来ました。そしたら、やっぱり日本は別世界でしたね。 当時、韓国は夜の12時以後は外出禁止という法律があって、だから夜は真っ暗だったんです。 でも、日本は一晩中、ネオンがピカピカですから、ど田舎に住んでた子が大都会に出て来たという感じです(笑)。 パチンコや、当時、有名だったインベーダーゲームに夢中になりました。ケンタッキーフライドチキンにも、はまったし。普通の小娘がよくやることをやってましたね(笑)。
――歌の方はどうでしたか。
ヨンジャ まだ日本語もちゃんと理解していないのにド演歌を歌っていたんです。「抱かれていたい、このままずっと。死ぬことよりも別れがつらい」なんて(笑)。
だけど、18歳の小娘が、わけもわからずに大人の歌を歌っても成功しないですよね。結局、3年で韓国に帰ったんです。
韓国トップのシンガーに
――いったん帰国されて、その後、韓国で大スターになられましたね。
ヨンジャ 帰って1年後に売れたんです。『歌の花束』というアルバムがヒットしました。 これは、韓国の戦前の名曲を集めた、日本で言う「昭和名曲」のような感じのアルバムです。 日本で3年間、美空ひばりさん、都はるみさん、北島三郎さん、森進一さん、五木ひろしさんたち、大御所さんが活躍されるのを見て、聴いているうちに、テクニックや発声法が身についたんですね。だから大ヒットしたんだと思います。 若い時の3年は、30年くらいの重みがあると思いますね。19、20歳の頃って、人格を形成するのに、いちばん大事な時じゃないですか。私は、その時期に日本にいたから、性格も歌い方も、日本人ぽいと言われるんです。
きっと、歌の人生の中でいちばん影響を受けた3年だったと思います。
――1988年にはソウルオリンピック公式歌『朝の国から』で日本再デビューを果たしましたね。
ヨンジャ ポップな『朝の国から』の次に、周りはバラードを歌わせたがったんです、私の声がハスキーだから。でも、私は日本でもう一度、演歌を歌いたかった。あくまでも自分のベースは演歌だから。 韓国にも、日本の演歌に近い、伝統歌謡があるんです。ずっとそれを歌ってきたのに、なぜバラードを歌わなきゃいけないんだろうって。 だから、周りの人たちに意見を言って、当時、引退してプロデュースをなさっていた都はるみさんにお願いして、89年に『暗夜航路』をリリースしたんです。 あそこで引きずられていたら、バラード歌手になっちゃいますからね。 いかにも横文字、うまいような顔をしてバラードを歌っても(笑)、嘘は浅いから、いつかバレていたでしょうね。 あの時、嘘をつかなかったから、今、演歌、ポップス、洋楽と、いろんな歌にチャレンジできるんだと思います。
歌は世界共通語です
――ベトナム、中国、ブラジル、メキシコと、世界各国で公演していますね。
ヨンジャ チャリティや国際交流に協力できればと思って、呼んでくださる国があれば、行って歌っています。
――海外のステージでは、その国の歌を歌われるのですか。
ヨンジャ 私はもともとラテン音楽が好きなんです。だからベトナム、メキシコ、キューバでは歌いましたね。韓国語の発音は、スペイン語やイタリア語と似ているんですよ、舌の回転が。だから、イタリアのカンツオーネも歌いやすいですね。
――そうなんですか!世界の歌がレパートリーなら、どの国でも喜ばれるでしょうね。
ヨンジャ そうそう。歌うほうが喜ばれますから、無理にその国の言葉でトークしないほうがいいみたい(笑)。歌があれば言葉は通じなくても心は通じますからね。歌は素晴らしい、世界共通語だと思いますよ。
――現地で暮らしている日本人と韓国人、両方が喜んでくださるでしょうね。
ヨンジャ そうそう、お客さまはチャンポンです(笑)。 だから私はいつも、韓国と日本を代表して歌っているんですね。ふるさとが二つある、幸せ者です。
ステージの前は必ず焼肉!
――レシピ本の『キム・ヨンジャの韓国料理のおいしい食卓』が好評ですね。
ヨンジャ 私のふるさとは「食の街」と言われる光州市で、母も料理が上手なんです。母から教わった料理の中でも、本当に気軽に、簡単に作れるものを中心に紹介しています。
――ヨンジャさんの得意料理は?
ヨンジャ 休みの日はキムチチゲを多めに作って、毎食、食べてます。
私は母のキムチがないと生きていけないの(笑)。定期的にクール便で送ってもらうんですけど、仕事の時は食べないようにしているんです。やっぱりニンニクが苦手な方もいらっしゃいますから。 そのぶん休みの日は、もう一日中、キムチチゲです(笑)。あ!でも、コンサートの前は、必ず焼肉を食べてますよ、これは本当。
日本に来て最初にびっくりしたのが、焼肉屋さんがキムチでお金とることですよ(笑)、韓国はタダですから。
以前は「これ、ほんとにキムチなの?!」というような、真似た感じのものが多かったけど、今は美味しくなりましたよね。もう、どこの焼肉屋さんでも安心して食べられます。
――お気に入りのお店はありますか。
ヨンジャ よく行くのは新宿の『高麗』、高円寺の『ぎゅうぎゅう』。
私、焼肉屋さんでは人に肉を焼かせません!私が焼いてあげるんです。最初は焼いてもらってたんですけど、みんな焼きすぎちゃうから肉がもったいなくて。
せっかくだから美味しく食べていただきたくて、焼肉屋さんでは、お説教っぽくなりますねえ(笑)。
「焼けたお肉はサンチュとゴマの葉っぱで巻いて食べるのが美味しいですよ」とか「石焼きビビンバにはコチュジャンと胡麻油を入れるといいよ」とか、ちょっとうるさいんですよ(笑)。
最近、焼肉屋さんで「ユッケジャンラーメン」とか「ユッケジャンうどん」て、やってるでしょう、食べてみたんです。
――韓国にはありませんよね。変だと思われますか?
ヨンジャ いえいえ、美味しいですよ!大好きになって、ぱくぱく食べてます。韓国でもやればいいのにと思います。
――よかった!ところで新曲『南十字星』は、ヨンジャさんのダイナミックな歌唱が冴える素敵な曲ですね。
ヨンジャ ありがとうございます。しばらく哀愁の演歌が続いていましたから、スケールの大きな歌に挑戦したいと思ったんです。
南十字星は日本ではほとんど見えない、南半球の星です。この星が見える遠いところで、仕事や夢のためにがんばっている、大切な人を想う歌なんです。
今まで、ロマンチックな乙女心を歌う曲はなかったので、とっても新鮮です。
私はいろんな色の声を持っているから、「この歌は白、この歌はピンク、この歌は真っ赤に歌いたい」と、いつも色を変えて歌っています。
この歌も、私の色に染めることができれば歌手の冥利につきますね。
――焼肉のパワーで、『南十字星』を大ヒットさせてください!今日はありがとうございました。
南十字星 CouplingWith夜景
日本クラウン 1,200円(税込)
「スケールが大きくてポップスの味。歌っていて気持ちがいいの。この歌は私の大きな財産になると確信しています。
遠く離れた、大切な人に、会いたくなったらこの歌を聴いてください」(ヨンジャさん)
キム・ヨンジャの韓国料理のおいしい食卓
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