失敗しても、終わりじゃない!
――個人的なことを公にされるのは初めてですね。本を書くには、何かきっかけがあったのでしょうか。
宇梶 そうですね。役者ですから、与えられた役をやればいい、個人的な背景を言う必要はないと考えていたんです。
役者やるにあたって、昔、不良だったことは邪魔にこそなれ、いいことなんか何にもないと思ってましたから、ワルかった時代に身についてしまったふるまいは、気づくたびに削ぎ落としてきましたし。
ところが、あるディベート番組の「問題児対教師」というテーマの回に、ゲストとして呼ばれまして。
自分の若い頃と同じような、大人を信用してない目をしてる奴らを見ているうちに、そいつらに呼び戻されたというか。
つい、熱くなって、自分がかつて非行に走って少年院に入ったこと、そこで考えたこと、支えてくれた先生のことを話してしまったんです。
それを見ていた出版社の方に、熱心に誘っていただきまして。躊躇はしたんですよ、実際、いいことしてないから(笑)。
ただ、編集者の方いわく「失敗した人間が、失敗を何とか取り戻そうとやってきた、その過程を読んでみたい人がいるはずだ」と。そういうこともあるのかなと思って、やらせていただくことにしたんです。本にも書きましたが、人生はいつでもスタートラインに立てるはずだし、もう終わりだと思えばダメ。
俺ほどアホな生き方しなくてもいいけど(笑)、失敗しても終わりじゃないんだってことが伝わればいいなと思うんです。
----中略----
親友は焼肉屋さん!
――焼肉はお好きですか?
宇梶 好きですよ!東京都の青梅市にある『銀河亭』という焼肉屋さんへ月に1、2回は必ず行きます。
高校の野球部でいっしょだった同級生が、家業のステーキハウスのひとつを、焼肉屋にした店なんです。そいつとはずっと仲良くて、僕が学校辞めて家出したり、不良してた時、その家に何ヵ月か居候してたんです。そいつは学校行くのに、僕は毎日遊んでて、昼前に起きると、お母さんがカルビ弁当とか作ってくれて、「今日はどこ行くの?」なんて、天国みたいな家なの(笑)。
当時から、ずっとお金払ったことないから、彼が焼肉屋をオープンしたときに、一日店員やったんですよ(笑)。白いシャツに黒ズボンに前掛けして、蝶ネクタイして、「いらっしゃいませ!」って。今じゃ、バイトの奴に「オレは、この店の最初の店員だからな、先輩なんだぞ」って言って困らせたりしてます(笑)。
――お好きなメニューは?
宇梶 以前はホルモン系は食べなかったんです。「クチャクチャしてて嫌なんだよ、カルビはすぐ噛み切れるから好きだ」なんて言ったら、彼に「いいホルモンを食ったことがないからだ。とにかく食え」と言われて。そしたら、これが美味しくて!それ以来、必ず、上ミノとかを美味しく食べてます。彼の店には家族とも行きますが、ひとりで行くことも多いですね。高校生が、学校帰りにかたまってうだうだ話してるような話をするのが楽しいんですよ。
――昔のお友だちとは、今も親しく?
宇梶 いっしょに不良やってた仲間はみんな学校を途中で辞めてますから、腕一本でやっていける建築関係が多いんです。しっかり手に職をつけて、みんな今は立派な社長や親方になってますよ。彼らは僕よりもずっと早くから社会に貢献してきたわけで、僕の誇りです。そういう仲間を持てたことは幸せです。時々ケンカもしますけど、大事に、ていねいに、関係を育んでいければいいなと思います。
――お友だちとも、焼肉とも、長くお付き合いください。
今日はありがとうございました。
宇梶剛士さん
俳優。1962年、東京都生まれ。ドラマ『ひとつ屋根の下2』『サイコメトラーEIJI2』『ママの遺伝子』、映画『GTO』など、数々の作品に出演するほか、舞台では作・演出も手掛ける。バラエティー番組などの出演も多数。
ドラマ・舞台・CMで、独特の存在感を発揮する俳優・宇梶剛士さん。
先ごろ出版した著書『不良品』では、巨大暴走族のリーダーとして暴走とケンカに明け暮れた少年時代と、俳優を志してからの軌跡をつづり、注目と共感を集めています。
「何度でもスタートラインに立てる」という人生観や、いくつもの幸福な出会い、そして親友が営む焼肉店での楽しいエピソードをうかがいました。
宇梶剛士 著
『不良品―オレは既製品じゃない!』ソフトバンクパブリッシング刊 1500円
複雑な家庭環境に翻弄されながらも、プロ野球選手になる夢を追い続けたが、ひとつの事件をきっかけに歯車が狂った。
巨大暴走族のヘッドとなり、度重なる抗争の末、少年院に収監。そこで読んだチャップリンの自伝が立ち直るきっかけをくれた一半生に正面から向き合い、俳優として生きることを許されるまでをつづる。
野球の夢が途絶え、高校を中退。身の置き場を失って、暴走族へ。構成員2000人の巨大チームを総長として
統率していた17歳の頃。
「今から考えると、あのときは2000人に向かっていたのではなく、大人や社会に反抗して悲しい叫び声をあげていただけのような気がする」―『不良品』より
少年院を出院、定時制高校に再入学し、俳優を志した19歳の頃。
錦野旦氏の事務所の手伝いを振り出しに、菅原文太氏のもとで俳優修業、美輪明宏氏と出会い、初舞台に立つ。
--全文の詳細は「月刊やきにく」をご購読下さい--
|